八正道とは?人が正しく生きるための八つの方法を解説!

八正道は仏教の教え

仏教の最終目的は、悟りを開き、苦しみから解放され、安らかな人生を歩むことです。
八正道は、そのために必要な8つの行動です。
八正道は『はっしょうどう』と読みます。

仏教の最終目標は仏教用語で『涅槃』言い、悟りの境地に達することを目指しています。
八正道は全部で8つの行動で成り立っていますが、すべては涅槃を目的として行うものです。
それでは八正道についてお話ししていきます。

八正道の一・正見(しょうけん)

正見は『正しいものの見方』のことで、偏りのない見方を指しています。
物事を見るという意味があり、個人的な固定概念などを交えずに、在りのままに物事を見るという意味です。
実際のところ、在りのままに物事を見るのは非常に難しく、ほとんどの場合、個人的な感情や固定概念などが影響してしまうものです。
在りのままに物事を見ることで、この世の真理を知り、苦しみから解放されることができるのです。

八正道の二・正思惟(しょうしゆい)

正思惟は『正しい考え方を持つ』ということで、偏りのない考え方を持つことを指しています。
仏教で説いている『正しい見方』は、利己主義的な考え方を捨てて、この世の真理に照合して考えることです。
自分の幸福のために生まれる三毒を捨てるということです。
三毒は、人の正しい考え方を蝕む毒のようなもので、貪瞋痴(とんじんち)と言います。

貪瞋痴

・貪欲(どんよく)=自分が幸せになるための自己中心的な欲望
・瞋恚(しんに)=憎しみや怒りに任せた考え方
・愚癡(ぐち)=真理に無知で、物事の善悪の区別ができないこと

八正道の三・正語(しょうご)

正語は『正しい言葉遣いをする』ことで、相手に正しいことを伝えることを意味しています。

・妄語=相手を騙すことや自分を偽るための嘘
・両舌=自分本位の二枚舌
・悪口=相手を悪く言うこと、傷つけるような言葉
・綺語=事実ではないことを言葉で飾り立てる、出まかせ

このような嘘・悪口・陰口・相手を傷つける言葉はもちろんのこと、場合によっては正しいことでも相手を傷つけることがあります。
相手を慮ることは非常に大切で、その場に合った正しい伝え方をすることも正語のポイントとなります。

八正道の四・正業(しょうごう)

正業は『正しい行いをすること』を意味しており、殺生・盗みなどをしないなど、「人として、してはいけないことはしない」という意味です。
具体的には、「殺生や窃盗をしてはいけない」「他人に迷惑をかける行為をしない」「命の妨るような行為をしない」などです。
こうしたことを心がけて生活することです。

八正道の五・正命(しょうみょう)

正命は『正しい生活を送ること』を意味しており、規則正しい生活をし、正直に身の丈に合った生計を立てることを意味しています。
人の命に貢献し、社会のために貢献することを指しており、すなわち正しい職業を持つことです。
薬物の売買や人を傷付けること、武器を作ることなどはしてはいけないということです。

八正道の六・正精進(しょうしょうじん)

正精進は『正しい道に向かって正しい努力をすること』を意味しており、それまでの間違った行いを改めて、正しく生きる努力をすることを意味しています。
自分の悪いところをなくす努力、これから先も悪い事をしない努力を指しています。
また、より良い人間になるための努力も正精進になります。
自分を律して、コントロールすることが大切です。

八正道の七・正念(しょうねん)

正念は『正しい意思や信念を持つこと』を意味しており、この世の真理を知り、その真理に従って正しい信念を持って生きることを意味しています。
その時その時の自分に気付くことが大切で、自分の好みで左右されたりジャッジすることをやめ、素直に在るがままを見るということです。

八正道の八・正定(しょうじょう)

正定は『正見や正念などを真に捉えて、座禅を行うこと』を意味しています。
精神統一して、心を落ち着かせ、正しく定まることを意味しています。
つまり『瞑想』のことですね。
精神統一を目的として行う瞑想は、正定をすることで正念が得られるということです。

八正道の実践は簡単ではない

いかがでしたか?
八正道の意味はお分かりいただけたでしょうか。
しかし、八正道の実践は簡単ではありません。
例えば、人は誰でも様々な人と関わりながら生きていますが、中には意地の悪い人もいるでしょうし、嘘をつく人や悪態をつく人もいるでしょう。
そういう人と関わる中で、頭に来たり腹が立つことはあるでしょうし、憎しみを持つこともあって当然です。
そんな人が善い行いをしているところを見たとしても、そのことを素直に受け止めることは難しいですし、とても善い行いとして受け止めることができないでしょう。
それは人の感情として、当たり前のことでしょう。
しかしこうした感情は偏った見方をしている証拠ですし、在りのままを見ているとは言えません。
逆に、とても信頼している人が悪い行いとしたとしても、「何か事情があったに違いない」などと考えるかもしれません。
また、大切な存在を失ったときには、感情的になって悲しみに打ちひしがれるでしょう。
そうしたことは普通の人間であれば当たり前のことですし、人として一般的な反応です。
しかし八正道では、そうしたことが自己中心的で利己的だと捉えられ、偏った見方・考え方であるということになってしまいます。
八正道を実践しようとすると、「感情を持っちゃいけないの?」という疑問にぶつかることがあります。
それは決してそういうことではなく、悟りを開くことで『動じない』ということなのです。
八正道の実践の難しさをお分かりいただけたでしょう。
しかし興味のある方は、是非、究めてみてはいかがでしょうか。